唐津ゲストハウス創業記

佐賀県唐津市に“泊まれる少女まんが館”「唐津ゲストハウス少女まんが館Saga」を開業するまでのあれやこれやを綴ります。

終戦記念日に思うこと

館主(予定)のからいけです。

今日は72回目の終戦の日ですね。

 

これまで、自伝などの出版にも多く関わらせていただきまして、従軍や満州からの引き揚げなど、実際の体験をうかがう機会がありました。

さまざまなかたちで戦争を体験された方が口を揃えられるのは、

憲法9条の大切さ

でした。

「人が人の命を奪う戦争という行為は、絶対に正当化できるものではない」と語られた強い眼差しを忘れることはできません。

 

私の祖父も満州ビルマなどに行っており、士官クラスだったようです。父の話では、陸軍航空隊で、隊の副官だったとか。

ですが、祖父は自身の戦争体験を家族にほとんど語ろうとはしませんでした。

祖父には、苛烈な軍隊生活を、しかも士官の立場で過ごしたとは到底思えないほど、穏やかで優しく物静かというイメージしかなく、声を荒げているといった記憶はまったくありません。

毎年お盆とお正月は祖父の家に行き、早朝散歩に出る祖父に、従兄弟たちとともにまとわりついていたものです。

 私が中学生のとき、70代前半で祖父は亡くなりました。長く生きていてくれたら、深い話を聴く機会もあったのかもしれません。

 

祖父が亡くなり、遺品整理をしていたら1枚の写真を祖母が見つけました。

現地の女性が写っており、裏書きには「妻 ◯◯◯」とありました。

当時中学生だった私は、「向こうに親戚がおるかもしれんね」などと軽く言っていたものですが、歳を重ねるごとに、その方のことをふとしたときに考えます。

「祖父がその方にひどいことをしていなければいい」

終戦後も生きれておられたのであれば、祖父のことをどう思われていたのだろう」

「その後、再婚などはできたのだろうか」

「もし、子どもが生まれていたりしたら、どれほど苦労をされたのか」……

 

 

戦争から帰還した祖父は、祖母と結婚して2男1女をもうけ、天寿を全うしました。

死ぬまでその方の写真を持ち続けていたのですから、祖父にとってその方が忘れがたい女性だったことは事実でしょうし、あの祖父が女性を粗略に扱ったとは思えません。

ただ、当時の現地の女性に日本人将校からの求婚を断る術はなく(合意だったことを祈るのみですが)、彼女の運命が大きく変わったことも事実でしょう。

そのことを思うと、胸が痛みます。

そして、「胸が痛む」ということ自体が偽善に思えるし、欺瞞だ、とも思うのです。

祖父は25年も前に亡くなりましたし、その女性を探し出すことは、いまとなっては難しいと思います。私にできることは、その方のその後の人生が幸福であってほしいと願うことだけです。

 

このように、大小さまざまな「傷」は、終戦から70年以上が経過してもそこここの家族に残されているのではないでしょうか。

 

 

「なぜ戦争をしてはいけないのか」

1年に1度、今日くらいはそのことにきちんと向き合い、考えたいと思います。

 

お読みいただき、ありがとうございました!

 

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