唐津ゲストハウス 女まSaga日記

佐賀県唐津市の“泊まれる少女まんが館”「唐津ゲストハウス少女まんが館Saga」ののんびり(希望)な日々を綴ります。https://jomakansaga.com/

光回線万歳!wifi接続でてんやわんや(2)

館主(予定)のからいけです。

 

引き続き、実家のインターネット接続にからむ帰郷前後のことをお話させていただきます。

 

引っ越しの荷物を送り出してから、都内のゲストハウスなどを泊まり歩き、7月3日を迎えました。

とうとう帰郷前夜。

ですが、東京生活最後の感慨にふけることもなく、私は必死で翌日の台風情報をチェックしておりました。

突如発生した台風3号が、私の進路を阻んでいたのです。

 

搭乗予定は、7月4日15時5分の羽田発福岡行き。

この時点で、台風は九州北部から関東を抜けていくという予報でした。

 

写真:ある意味ドンピシャな台風の進路

f:id:jomakansaga:20170715173059p:plain

 

はたして、本当に帰れるのか⁉︎

不安に苛まれながら、池袋のBOOK & BEDで眠りにつきました。

 

明けて4日。

なんとか台風は進路を逸れ、飛行機は出発できそうです。

わざわざ羽田まで見送りに来てくれた友人家族に見送られ、13年の私の東京生活が終了しました。

 

f:id:jomakansaga:20170715175736j:plain

 

これからお世話になるであろう今宿のコワーキングスペースSALTさんに顔を出してから、ようやく唐津に到着。

 

台風は通り過ぎましたが、大気の状態は非常に不安定で、このあと九州北部を記録的な集中豪雨が襲いました。

幸いにして、唐津は大きな被害を免れ、私の荷物搬入も濡れることなく済みましたが、これまで体験したことのない雷雨で、家がビリビリと揺れていました。

 

(つづく)

 

災害の犠牲となられた方々のご冥福と、1日も早い復興をお祈りしております。

 

 

光回線万歳!wifi接続でてんやわんや(1)

館主(予定)のからいけです。

 

帰郷した私の緊急課題は、なんといってもインターネット!

いかに自室でスムーズにネットに接続させるか、でした。

 

これまでほとんどインターネットというものをやってこなかった実家に、光回線の工事がされていただけでもありがたかったのですが、確認したところ、うちの実家が入っていたのは、ドコモ光のミニタイプ(月額¥2700)。

月200MBの容量制限のあるものでした。

 

DTP*では、100MBのデータなどもやりとりしますので、それではまったく仕事になりません。

5月の帰省時、とりあえずドコモ光の容量無制限のプランに(月額¥5200)するため、ネットの契約がよくわからないという母を連れてドコモショップへ。

なんだかんだで待ち時間含め3時間(!)かかってようやくプランを変更しました。

 

しかし、ここでさらなる問題が。

実家ではLANケーブルでモデムとPCを直接つなげていたため、なんと無線ルーターがない!

しかも2階の私の部屋から一番遠い部屋にモデムがあり、ルーターをどこに設置すれば届くのか、とにかくやってみなければわからない、という状況でした。

 

5日ほどの帰省期間中、物件の内見や市役所への訪問相談など、とにかく予定がぎっちりだったため、ネットの契約変更ができたのが東京に戻る当日。プランの変更も反映されず(〆日が先だったので)、ルーターもない、ということで、wifiについては7月に帰郷してから、となりました。

 

そのときの私は、仕事先のPCで作業させていただいていたため、デスクトップPCも持っていませんでした。あるのはMacbook air1台のみ。

当然作業効率やPCの容量を考えれば、iMacを新しく手に入れなければなりませんでした。

 

インターネットやPCについてまったくの素人の私が、実家に帰って1人でwifiや新しいPCの設定ができるのか。

はっきり言って「否(いな)」です。

 

途方に暮れそうになりましたが、私には心強い味方がいました。

シェアメイトです。

当時は一軒家に男女5人ほどで住んでおり、そのなかに、apple製品を使い倒しているフリーのカメラマンがいたんです。

 

iMacを選ぶところから相談し、なんだかんだ結局設定は丸投げ。

いやあ、日々のおかずシェア(餌付け)って大切ですね!(笑)

有り難や有り難や。

 

「あとはモデムにルーターをつなげば、自動で全部つながるようにしといたから」

との言葉を信じ、「無事に着いてね!」と念じつつOA機器ほか荷物を送り出しました。

 

(2)へつづく。

 

DTPDesktop publishingの略。直訳すると机上の出版。本や新聞・雑誌などで実際に使用する書体を使って文章や見出し、写真などをパソコン上でレイアウトして、実際の印刷データをつくっていく作業のこと。

 

写真:シェアメイトと物々交換したappleAirMac ExpressKindleペーパーホワイトが化けました! 信頼と実績のウエスタンデジタルの外付けハードをこちらに直接つないで、データをTimeMachineで自動保存しています。

f:id:jomakansaga:20170713155050j:plain

 

唐津のこと(1)

館主(予定)のからいけです。

 

今日は、わが町唐津について少しだけ。

 

唐津市は、佐賀県北西部の位置にあり、市域は、東西約36km、南北約30kmに及び、総面積は約487.54㎢で、佐賀県全体の約20%を占めています。

市の東部は福岡県糸島市佐賀市、南部は多久市武雄市伊万里市、西部は玄海町伊万里湾を隔てて長崎県松浦市に境界を接し、北部は玄界灘に面しています。また、東部は背振山系が唐津湾に向かってなだらかに傾斜し、中部は松浦川の流域に沿って平坦部が広がり、西部には丘陵地帯の上場台地があります。

その地先をなす唐津湾は帯状の松原と砂浜が両翼に広がり、湾のほぼ中央に高島があります。近郊の海には、神集島、小川島、加唐島、松島、馬渡島、向島の離島群が東松浦半島を取り囲むように位置しています。(唐津市HPより)

 

日本海側の唐津湾に沿うように植えられた松林は虹の松原と呼ばれ、深緑の松に白砂、澄んだ海のコントラストが素晴らしく、ぼーっと一日中でも見ていられます。

その眺めは、まさしく「白砂青松」。

 

関東にいたころ海に遊びに行き、砂浜の黒さと海の色にかなりの衝撃を受けました。

日常にありすぎると、人はその価値がわからないものなのだと、実感しました。

 

「津」には、港という意味があります。

唐津 → 唐の津 つまり、唐(韓)への港だったわけですね。

古代日本における大陸への玄関口のひとつであり、「魏志倭人伝」にも末盧国(まつろこく)として記されています。

 港町としての唐津の歴史も、紐解いていくとそれはそれは面白いのですが、それはまた今度。

(あ、興味ないですか?)

 

まあ、何が言いたいかというと、

唐津の海と空はきれいかよ!」

これです(笑)

 

 写真:鏡山から見た7/10の唐津湾。犬の散歩中にパシャり。

f:id:jomakansaga:20170712005804j:plain

少女まんが館のこと

館主(予定)のからいけです。

 

私がつくろうとしている「唐津ゲストハウス 少女まんが館Saga(仮)」は、東京のあきる野市にある「少女まんが館」さんの姉妹館になります。

http://www.nerimadors.or.jp/~jomakan/

 

明治時代から西暦2000年くらいまでの貴重な少女雑誌や少女まんがが6万冊(!)収められてる私設図書館で、開設20年を迎えました。

週に一度、土曜日の午後のみ無料開放されています。

 

すでに三重県にもカフェ併設の姉妹館(少女まんが館TAKI、蔵書1万冊ほど)があるのですが、佐賀では、“泊まれる少女まんが館”を計画中。

 

少女まんが館の館主ご夫妻

f:id:jomakansaga:20170710123857j:plain

f:id:jomakansaga:20170710123945j:plain

 

「今度うちの雑誌で少女まんが特集やるからやってよ」

3年ほど前、私のまんが好きを知っていたとある雑誌の編集長さんからのご依頼で、20ページほどの企画構成をほぼ任せていただいたことがあります。

(ベルばらやガラスの仮面の人物相関図などを嬉々としてつくりました。ベルばら読んで仕事になるなんて、まんが読み冥利に尽きますw)

 

その取材で伺ったのが少女まんが館さん。

まんが好きにとっては本当に夢のような場所に感激し、その後もたまにお邪魔させていただいていました。

お二人とも、もともと執筆や編集関係のお仕事をされているということもあり、まんが以外のことでも話題が尽きず、ゲストハウスのこともお話ししたりしていました。

 

 

ゲストハウスに少女まんがを置こうとは考えていたのですが、帰郷のご挨拶に伺い、ゲストハウスの計画が具体的になっていることをお伝えすると、姉妹館を名乗ってよいうえに、蔵書もおわけいただけることに!!

 

本当に夢みたいなお話をいただき、感謝に堪えません。

中野さん、大井さん、本当にありがとうございます!!!

 

とりあえずいまのところ検討している物件がそんなに広くありませんので、収蔵冊数がかぎられるかと。ジャンルを絞り、歴史・時代物(館主の趣味です)を中心に集めていく予定です。

 

丈夫な本棚をつくらなきゃ♪

 

写真:お姉さんができました!

f:id:jomakansaga:20170710185614j:plain

 

 

ゲストハウスをつくるワケ(5)

館主(予定)のからいけです。

 

(4)のつづき。

 

2016年末、帰郷を決意したわけですが、とにかく実際の帰郷日を具体的にしないと、日々の仕事に追われズルズルしてしまうだろうと、7月に設定。

そこからスケジュールを逆算し、各方面の調整に入りました。

 

3月にいったん帰省するため、唐津市の移住相談窓口の担当の方に電話でアポ取り。

(インターネットに記載されていた相談用メールに送ったんですが、戻ってきたので結局電話に。ここで記載されていたアドレスが間違っていたことが判明! 現在は解消されていますが、都心などからの移住を考えておられる方が相談したかったら、メールでの問い合わせを第一に考えるでしょうし、大きな機会損失ですよねぇ。素敵なページなだけにもったいない)

 

帰ってから住むところは実家ですが、ゲストハウスをつくるにあたり、空き家バンクなどが利用できそうかをお会いしてご相談。

非常に親身になって考えてくださるもバンク登録自体が少ないらしく、ゲストハウスの条件に合致する空き家の登録を待つより、自力で探したほうが速いし金額交渉などもしやすそうという結論になりました。

ただ、窓口担当の方と唐津でやりたいことなどで意気投合。

こんな人が市役所にもいるなら、帰っても大丈夫だと思えました。

実際に人に会うのは本当に大切ですね。

 

3月末から4月、主な仕事先に7月に帰ることを宣言!

 

持ち帰れる仕事と持ち帰れない仕事を確認し、実家のネット環境を整えに再度5月下旬に帰省しました。

この帰省中に地元の不動産屋さんを兄の友人に紹介してもらい、空き家ではなく賃貸物件も視野に入れ始めました。(そのときのことはまた後日!)

 

移住本の担当をした関係で福岡移住計画の代表の方などを存じていたため、唐津と福岡をつなぐ「新唐津街道」の移住関連の計画も。(これもまた後日詳しく書きます)

 

この帰省でゲストハウス計画がかなり具体的に、熱をもって動きはじめた気がします。

物事が動く瞬間って、すごくエネルギーに満ちていて、すごいタイミングが重なってくるものですね。

立て続けにいろいろなことが起こり過ぎて、頭の中の整理が追いつかないくらい(笑)

 

本当にたくさんの方に送別されつつ、荷物をなんとか片付けて、7月4日、唐津に帰ってきました。

 

ここからゲストハウス計画の本格スタートです!

不安よりもワクワクした気持ちがいっぱいでいられるのは、応援してくださる方のおかげです^^

さあ、やるぞ〜!!!

 

写真:3月、唐津市役所でユーリとヴィクトルに出迎えられました(笑)

*男子フィギュアを描いたアニメ「ユーリ!!! on ICE」の主人公ユーリの地元長谷津は唐津がモデルとなっています。

f:id:jomakansaga:20170710111802j:plain

ゲストハウスをつくるワケ(4)

館主(予定)のからいけです。

 

(3)のつづき。

 

ゲストハウスをつくりたい!

そう思った私が真っ先に思い出したのが、故郷の佐賀県唐津市のこと。

唐津湾に面した、緑豊かで美しいふるさと。

唐津くんち(祭)を誇りとし、素晴らしい焼き物と人懐っこくて明るい人たちがいる城下町。

そこでゲストハウスが開けたら、どんなにいいだろう。

 

先のことはわからないけれど、とにかく40歳までに唐津にゲストハウスをオープンすることを目標に、お金を貯めよう。

そう決めました。

 

Uターンして地元にゲストハウスをつくりたい。

そんなことをことあるごとに話していたら、移住に関する本の依頼が舞い込みました。

国内外の移住実践者33人に取材したその本(米田智彦著『いきたい場所で生きる』2017

年1月刊)の制作を通して、リモートワークの可能性を実感!

ベルリンやフィジー、北海道から沖縄におられる方たちと一緒に本づくりができたことで、唐津で今の仕事が続けられるだろうかという不安はかなりなくなりました。

 

折しも、目標としていた貯金額も達成。

来年夏には、唐津に帰ろう。

2016年の年の瀬、移住本の校了作業に追われながら決意しました。

 

写真:鏡山から見た唐津

f:id:jomakansaga:20170709230346j:plain

ゲストハウスをつくるワケ(3)

館主(予定)のからいけです。

 

(2)つづき。

30代半ばにして真剣に将来について考え始めていたとき、一番頼りにしていた会社さんからいっとき仕事が来なくなりました。

9割以上の収入をそちらに頼っていたため、なかなか困ったことになったのですが、結果的にまたお仕事をいただけるようになり、収入面の不安は解消されました。

 

しかし、そのときに感じたのは、一つのところに頼る不確かさと、出版不況のこの業界だけで仕事をしていって本当に大丈夫だろうか、ということ。

本をつくる仕事はとてもやりがいがあり、楽しい。

でも、それだけで進んで本当にいいの?

他人任せではない、なにか。

それを探しはじめました。

 

当時の私はシェアハウスに住んでいて、初対面だったはずの住民同士が深く関わり合い、さまざまな相互作用が起こる毎日に面白味を感じていました。

東京ではシェアハウスが流行りはじめ、どんどんと不動産会社も参入してきた頃です。

シェアハウスの運営もいいなあ、そんなことも思いました。

 

決定的だったのは、金沢に一人旅をした際に泊まったゲストハウス「Pongyi(ポンギー)」さん。築100年以上の古民家を改修したゲストハウスで、そこに集う人たち(宿泊客やスタッフさん、その関係者たち)の幸せで楽しそうな笑顔を見たこと。

 

私もこんな場所をつくりたい!

強烈にそう思いました。

 

写真:兼六園

f:id:jomakansaga:20170709225915j:plain